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採用は企業の集大成である

〜バイトテロから考える、飲食店の採用と教育〜

第1章 バイトテロは、なぜ繰り返されるのか。

また、飲食店での「バイトテロ」が話題になっている。
厨房での悪ふざけ。
食材で遊ぶ。
不適切な動画を撮影し、SNSへ投稿する。

動画が拡散されるたびに、世間では強い批判が巻き起こる。
「何を考えているんだ」
「常識がない」
「最近の若者は」
もちろん、やった本人が悪い。
それは間違いない。

しかし私は、長く飲食店の現場を見てきた人間として、別の違和感も覚える。

なぜ、この問題は何年も繰り返されるのだろうか。

企業が変わっても。
店舗が変わっても。
時代が変わっても。

同じような問題が、何度も繰り返されている。
もし本当に「一部の非常識な人間」の問題だけなのであれば、
ここまで継続的には起きないのではないか。

つまり、この問題には「個人のモラル」だけではない、構造的な何かがあるのではないか。
私はそう感じている。

飲食店の現場には、独特の空気がある。

忙しさ。
閉店後の解放感。
仲間意識。
若さゆえのノリ。

特に学生アルバイトが多い現場では、「職場」でありながら、「学校の延長」のような空気になることもある。

私は、現場のスタッフが「楽しい」と感じる店を創ること自体は、店づくりにおいて一つの理想だと思っている。

スタッフが楽しそうに働いている店には、活気がある。
その空気は、お客様にも伝わる。

ただし、問題は「何が楽しいのか」である。

お客様に喜んでもらえることが楽しいのか。
仲間と協力して忙しい時間を乗り越えることが楽しいのか。
自分の成長を感じられることが楽しいのか。
それとも、ただ内輪でふざけることが楽しいのか。

学生アルバイトをはじめ、若いスタッフが中心の現場では、この「楽しい」の意味をはき違えてしまうことがある。

本来、職場の楽しさは、お客様に価値を提供し、仲間と協力し、少しずつ自分の成長を感じる中で、生まれるものであってほしい。
しかし、その順番を教えなければ、現場の「楽しい」は、少しずつ別の方向へズレていくのかもしれない。

結果として、厨房はいつの間にか“仲間内で盛り上がる場所”になってしまうのかもしれない。

そしてここ数年で、そこにSNSが加わった。
昔なら、閉店後の悪ふざけは「店長に怒られて終わり」だったかもしれない。

しかし今は違う。
誰もがスマートフォンを持ち、世界へ向けて発信できる時代である。

しかも、投稿する本人たちには、そこまで大きな問題だという感覚がないケースも多い。
むしろ、「楽しいから、誰かに共有したい」という感覚なのかもしれない。

「仲間内のノリだった」
「ウケると思った」
「こんなに広がると思わなかった」

実際、そういう感覚なのだろう。
つまり彼らは、企業の信用を壊そうとしているのではない。
遊んでいるつもりなのだ。

しかし、その「楽しい」は、誰のための楽しいなのか。
その「遊び」が、企業にとって致命傷になりかねないとも知らずに。

飲食店は、信用で成り立っている。
「この店なら安心して食べられる」
「衛生管理を信頼している」
「お客様に安心を提供している」

飲食店とは、その小さい1つ1つを大切に積み重ねているからこそ、
成立している商売である。

だからこそ、たった一本の動画が、その信用を崩壊させる。

では、この問題は、「悪い人間を排除する」だけで解決するのだろうか。

私は、そうは思わない。
もちろん、本人責任はある。

しかし同時に、
「なぜ止まらなかったのか」
「なぜその空気が許されたのか」
「なぜ“それはダメだ”と言える人がいなかったのか」

そこを考えなければ、また同じ問題は繰り返されるのではないか。
そして私は、この問題の本質は、単なる「現場のモラル低下」ではなく、
企業側の採用や教育、さらには企業風土にも関係しているのではないかと感じている。

ここから先は、その話をしたい。

第2章 「やる方が悪い」で終わらせる企業は、また繰り返す。

飲食店は、本来何を提供しているのか。

私は、飲食店とは単に「料理を提供する場所」ではないと思っている。

そこには、
「食」  「美味しいね」
「時間」 「アッと言うまだったね」
「空間」 「気持ち良いよね」
「娯楽」 「凄く楽しい」
「安心」 「ほっとするよね」

そういったものを届けたいという、企業としての想いがあるはずだ。

お客様に喜んでもらいたい。
また来たいと思ってもらいたい。
その想いが先にあり、その実現のために人を採用している。

つまり、本来の順番は、
「そこに店があるから」

ではなく、
「こういう店を創りたい」
が先なのだ。

しかし近年、人手不足が深刻化する中で、
採用の意味合いが変わってきているように感じることもある。

「とにかく人が足りない」
「シフトが埋まらない」
「辞められたら困る」

このような現実を前に、
採用側が、いつの間にか過剰に“迎合”してしまっているのではないか。

採用とは、労働力を買うことではない。
店の想いに共感し、ともに現場を創ってくれる人財を迎えることなのだ。

しかし、人手不足の日々の中で、その順番が逆転していないだろうか?

本来であれば、
「この店に合う人を採用する」
という発想であるべきなのに、

「とりあえず入ってくれる人を採用する」
に変わってしまう。

すると、いつの間にか教育も変わりはじめる。
まず教えるのは、オペレーション。

レジ。
調理。
配達。
清掃。

もちろん、これらは必要だ。

マニュアルが整備され、誰でも一定のクオリティを提供できることは、
素晴らしいことでもある。

しかし、そこで止まっていないだろうか。

「なぜこの仕事をするのか」
「何をお客様に届けているのか」
「なぜ衛生管理が重要なのか」

そこが抜け落ちたまま、作業だけを教えていないだろうか。
すると、スタッフにとって職場は「作業場」になる。

厨房は、商品を作る場所ではなく、仲間内の空間になる。
そして、「お客様から見た自分たち」という視点が薄れていく。

その状態で問題が起きたとき、
それは、「スタッフだけに責任がある」と言いきれるのだろうか。

採用側が本当に考えなければいけないことは、
「問題行動をする人」そのものではなく、「問題行動を止められない空気」
ではないのか。

誰かが悪ふざけを始めた時、
「それ、やめようぜ」
と言える現場なのか。

あるいは、
「まぁ、いいんじゃない?」
「面白いから撮ろうよ」
「どうせバレないでしょ」

という空気に流されてしまう現場なのか。
この差は大きい。

そして、その空気は偶然できるものではない。

日々の採用。
教育。
店長の姿勢。
評価基準。

「おはようございます!」
「今日もよろしくお願いします!」
「お疲れ様でした」

そんな何気ない日々のやり取りの積み重ねが、現場の空気を作っていく。

だからこそ、
「やった本人が悪い」
で終わらせてはいけない。

これを単なる炎上問題として終わらせるのではなく、
自分たちの組織を見直す機会にするべきではないのか。

問題を起こしたスタッフを切り捨てれば終わり。

それでは、根本解決になると言えるのか。
企業を守るとは、単に損害を出さないようにすることだけではないと思う。

そこで働く人が、自分の仕事に誇りを持てること。
お客様に喜んでもらうことを、自分の喜びとして感じられること。
仲間とともに、より良い現場を創っていけること。

そういう健全な成長の土台を整えていくことも、
企業を守るということではないだろうか。

だからこそ、本当に必要なのは、
「なぜ、その人がその空気の中で育ってしまったのか」
を見つめ直すことなのかもしれない。

私は、そう感じている。

第3章 採用は企業の集大成である

私は、採用とは「人手を埋める作業」であってはいけないと思っている。
採用とは、企業の集大成である。

少し厳しい言い方をすれば、
「どんな人が来るか」

ではなく、
「どんな人を引き寄せる会社になっているか」

これが採用のあるべき姿ではないのか?

求人票には、その会社の価値観が出ているか。
労働条件だけを並べていないだろうか。

面接では、現場の空気感を伝えることができているか。
テンプレートの質問だけで終わっていないだろうか。

教育には、企業の本気度が出ているか。
せっかく採用した人財を、現場に任せきりにしていないだろうか。

評価制度には、何を大切にするのかが出ているか。
オペレーションだけの評価基準になっていないだろうか。

つまり採用には、その企業のすべてが滲み出る。
社長自身が、本気で採用を考えているのか。
その問いから、逃げてはいけないのだと思う。

私はこれまで、数多くのアルバイト面接に関わってきた。
その中で感じるのは、「能力」だけを見ていれば良いのかということだ。

もちろん、元気さや受け答えも大切だ。
しかし、もう一つ、明日から考えてみてほしいポイントがあるとすれば、

それは、
「想像力」
ではないだろうか。

自分の行動が、周囲にどう影響するのか。
お客様はどう感じるのか。
一緒に働く仲間はどう困るのか。
店の信用に何が起きるのか。

その想像力を持っている人財であれば、
お客様を「ただ商品を受け取る人」ではなく、
喜びを共有する相手として考えてくれるのではないだろうか。

逆に、
「ノリ優先」
「バレなければいい」
「みんなやってる」
その瞬間が楽しければいい。

そう考えてしまいがちな人は、現場の空気をどちらへ向かわせるのだろうか。

もちろん、面接だけで全てを見抜くことはできない。

採用側が「どんな人財を求めているのか」を明確にすることは、非常に重要だ。

例えば、
「とにかくシフトに入れる人」
「とにかく明るい人」
「とにかく辞めなそうな人」
と言った「条件」だけを基準にしていないだろうか。

条件で採用された人材は、条件が合わなければ躊躇なく辞めていく。

なぜなら、その人は会社の想いに共感して入ったのではなく、
条件に納得して入っただけだからだ。

そして、入社後に、

「聞いていた話と違う」
と感じた瞬間、いわゆるミスマッチが生じる。

採用とは、
「この企業風土に協力してくれる人を迎えること」
だと考えたら、どんな採用活動になるだろうか。

企業としてまず、
自分たちがどんな店を作りたいのかを明確にしていく必要があるのではないか。

どんな接客をしたいのか。
どんな空気感を作りたいのか。
どんな仲間と働きたいのか。

そこが曖昧なままで、採用しても良いのか。
曖昧な採用は、やがて現場の空気を崩していく。

飲食店は、人が集まる場所だ。
だからこそ、店舗の空気は非常に重要である。

「ここでは、こういう振る舞いをする」
「ここでは、それは許されない」

そうした暗黙の文化が、日々形成されていく。
そしてその文化は、採用の段階から育てていくものではないのか。

採用と本気で向き合えない企業は、
いずれ現場の空気が崩れていくのかもしれない。

私は、そう感じている。

第4章 マニュアルでは、人は育たない

お客様にしっかり向き合おうとしている店舗ほど、
マニュアルを整備し、一定の品質を保とうと努力している。

調理手順。
接客方法。
衛生管理。
クレーム対応。

それ自体は素晴らしいことだ。

むしろ、一定水準の品質を保つためには、マニュアルは必要不可欠である。

では、マニュアルをしっかりと伝えることで、仲間は育つといえるのだろうか。
私は、そこにもう一つ大切な視点があると思っている。

なぜなら、人は「意味」を理解しないと、自分で判断できないからだ。

例えば、
「厨房でふざけてはいけない」
というルールがあったとする。

「そんなの当たり前だろ」
ベテランスタッフさんは、そう口にするかもしれない。

そう。
それが当たり前の店舗で育ってきたスタッフにとっては、当たり前なのだ。

しかし、そのスタッフに、
「なぜ、それが当たり前なのですか?」
と聞いてみたことはありますか。

衛生面の問題。
お客様の不安。
企業信用の低下。

もちろんそれもある。

しかし本当に大切なのは、
「お客様が、この店を信頼してくれている」
という感覚を持てるかどうかだと思う。

人は、意味を理解すると行動が変わる。
逆に、意味を理解しないままでは、「ルールを守らされている」感覚だけが残る。

すると、見られていない場所では崩れる。

「自分がバイトしている店では、ご飯を食べたくない」
そう口にする学生さんは、実は意外と多い。

つまり、自分たちでも、どこかで分かっているのだ。
「お客様に見せられない現場」が存在していることを。

だからこそ、
教育で本当に大切なのは、

「何をするか」
より、

「なぜそれをするのか」
を伝えることだと思っている。

飲食店は、お客様の時間を預かる仕事だ。

家族との食事。
恋人との時間。
仕事帰りの一杯。

そういう大切な時間に、
自分たちの商品やサービスが関わっている。

そこに誇りを持てるか。
それが教育の本質ではないだろうか。

そして、もう一つ重要なのは、
「止め合える空気」
を作ることだ。

問題行動が起きる現場では、多くの場合、「見ている人」がいる。

しかし誰も止めない。

なぜか。
空気を壊したくないからだ。

つまり、問題は「悪い人がいること」だけではない。
「間違っていることを、間違っていると言えない空気」
にもあるのではないか。

企業が作るべきなのは、監視体制ではなく、
互いに注意し合える空気。
「それは違う」と言い合える環境。

そして、その声を受け止められる店長や組織ではないのか。

マニュアルは、最低限の基準を作る。
しかし、現場の空気を作っていくのは、
そこで働く1人1人なのではないだろうか。

だからこそ、教育とは単なる技術指導ではなく、
企業文化を浸透させる行為なのだと、

私は思っている。

以前、「なぜスタッフが育たないのか」について書いたことがある。
技術やマニュアルだけでは、人は育たない。
現場の空気や、日々の関わり方の積み重ねが、人を育てていくのだと思う。

→「スタッフが育たない本当の理由」を読む

第5章 企業風土は、日々の積み重ねで作られる

バイトテロが起きるたびに、企業は謝罪し、再発防止策を発表する。

SNS利用ルール。
監視カメラ。
誓約書。

もちろん、起きてしまった事案に対して、謝罪し、再発防止策を示すことは必要である。
それは企業として当然の対応だと思う。

しかし、それで本当に解決したと言えるのだろうか。

バイトテロが起きるたびに謝罪をする。
それは適切な対応ではある。

しかし、同じような問題が繰り返されるのであれば、

本当に向き合うべきなのは、
「起きた後にどう謝罪するか」
ではなく、

「なぜ、その問題が起きるのか」
なのではないだろうか。

本当に必要なのは、
「どんな店舗を創りたいのか」
を、企業自身が真剣に考えることではないのか。

募集。
採用。
教育。
評価基準。
キャリアパス。

それらをバラバラに考えるのではなく、一つの想いでつなげていくとどうなるか。

例えば、
「お客様を大切にする店」
を作りたいのであれば、
採用の段階から、そういう価値観に共感できる人を探しているのか。
教育でも、「なぜそれが大切なのか」を伝えられているのか。
評価でも、売上やスピードだけではなく、周囲への配慮や現場への貢献を見ているのか。

「私、ここで働きたいです」
と、応募してきてくれた人にとって
「働きたい企業であり続けているか」

そして、働く人が未来を描ける環境を作る。

「この店で成長できる」
「ここで働く意味がある」
そう思える現場であれば、
自然と責任感も生まれてくるのではないだろうか。

逆に、
「どうせバイトだから」
「代わりはいくらでもいる」

そんな空気の中で、人が店に愛着をもてるでしょうか。
愛着がなければ、守ろうとも思わない。

私は、企業風土とは、日々の積み重ねだと思っている。

日々の採用。
「新人さん、頑張ってね。ようこそ」
日々の教育。
「前より全然、良くなったね」
日々の会話。
「昨日、お客様から“また来るね”って言われました」
日々の判断。
「よく決断したね。ありがとう」

その積み重ねが、やがて「現場の空気」になる。

そして、その空気が、問題を未然に防ぎ、
企業の想いを紡いでいく。

バイトテロを防ぐとは、
「問題行動を監視すること」
なのだろうか。

むしろ、
「健全な組織を育てること」
なのかもしれない。

採用は企業の集大成である。

私は、そう考えている。