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遺言が「手軽」になる時代に、家族は幸せになれるのか

~遺言制度はどこへ向かうのか―保管証書遺言の創設と『争い防止』という本来目的~

近年、遺言制度の見直しが進み、法務省は「保管証書遺言」という新たな方式の創設を含む民法改正案を取りまとめました。
デジタル技術の活用や押印要件の見直しなど、「遺言を作りやすくする」方向性が打ち出されています。

一見すると、時代に即した合理的な改正のようにも見えます。
しかし、ここで一つ立ち止まって考えてみたいのです。

そもそも、遺言とは何のためにある制度なのか。
そして今回の改正は、その本来の目的に照らして、本当に適切なものと言えるのでしょうか。

「民法(遺言関係)等の改正に関する要綱案」(令和8年1月20日決定)

第1章 「便利」になれば、家族は幸せになれるのか?

ハンコがいらなくなる。
スマホやパソコンで遺言が残せるようになる。
先日、法務省から発表された新しい要綱案を見て、
私は行政書士として、そして一人の人間として、少し複雑な気持ちになりました。
今回の改正案では、デジタル技術を活用した
「保管証書遺言」という新しい仕組みが検討されています。
ウェブ会議システムなどを使い、
自宅にいながら本人確認や手続きができる。
さらに、自筆証書遺言における押印(ハンコ)も、廃止される方向です。
一見すると、非常に合理的で、時代に即した素晴らしい変化です。
「ハードルが下がって、遺言を書く人が増えるのは良いことだ」
そう評価するのが、専門家としての自然な反応なのかもしれません。
しかし――
レストランの現場で人と向き合い、
現在は経営コンサルタントや行政書士として、
組織と個人の葛藤を見続けてきた私の目には、
少し違う景色が映ります。
「手続きが楽になれば、本当に争いは消えるのでしょうか?」
遺言は、単なる財産分配の指示書ではありません。
それは、残された家族に対して、
自分の人生の締めくくりとして伝える“最後のメッセージ”です。
誰に、何を、なぜ残すのか。
そこには必ず、理屈だけでは割り切れない「想い」があります。
もし、画面越しに事務的に手続きを済ませ、
数クリックで遺言が完成してしまったとしたら。
そこに、大切な人へ届けるべき「重み」は、宿るのでしょうか。
私は、遺言を
「できれば作るもの」ではなく、
「作っておくべきもの」だと考えています。
ですが、それは
「楽に作れるから」という理由ではありません。
遺言が「争いを防ぐ装置」として機能するためには、
制度という“形”以上に、
その中身にある“納得感”をどう設計するかが問われるのです。
制度が変わろうとしている今だからこそ、
あえて立ち止まって考えてほしいことがあります。
そもそも遺言とは、誰のために、何のためにあるのか。
その本質について、少し踏み込んでお話ししましょう。

第2章 「どの箱」に入れるか、よりも大切なこと

「よし、遺言を書こう」
そう決めたとき、
次にぶつかるのが「どうやって書くか」という手続きの壁です。
現在の日本の法律には、いくつかの方式があります。
自分で書く方法。
公証役場で作る方法。
そして今回、ここに新しく加わろうとしているのが、
第1章でお話しした、デジタル技術を活用した「保管証書遺言」です。
専門家としてこれらを見れば、
それぞれに一長一短があります。
「自筆」は手軽ですが、方式の不備で無効になるリスクや、
紛失・改ざんといった不安がつきまといます。
「公正証書」は極めて安全ですが、
それなりの費用と手間がかかります。
では、今回の改正によって――
「ハンコがいらなくなる」
「ウェブ会議で手続きができる」
そうなれば、問題は解決するのでしょうか。
私は、そうは思いません。
レストランの現場でマネジメントをしていた頃、
強く実感したことがあります。
マニュアル(制度)を新しくしても、
現場のスタッフが「なぜそれが必要なのか」を理解していなければ、
店はうまく回らないということです。
遺言も、同じです。
「自筆にするか、公正証書にするか」
「それとも新しいデジタル方式にするか」
これは例えるなら、
大切な贈り物を
「どの箱に入れるか」を選んでいるようなものです。
もちろん、箱は大切です。
中身を守るためには、
丈夫で適切な箱を選ぶ必要があります。
ですが――
本当に考えるべきなのは、
その箱ではありません。
「その箱の中に、何を詰めるのか」
という、中身の話です。
「とりあえず自分で書けるから自筆でいい」
「新しい制度で手軽に済ませよう」
その選択をする前に、
そもそも自分は、
何を守りたいのか。
その原点に立ち返る必要があります。
多くの人は、
箱(方式)を選んだ時点で、
半分くらい仕事が終わったような気持ちになります。
しかし――
本当の「設計」は、
ここから始まるのです。
そして多くの場合、
その設計をしないまま、
次の問題へと進んでしまいます。

第3章 「完璧な遺言」が、家族をバラバラにする

「専門家に頼んで、不備のない遺言を作ったから安心だ」
そう胸を張る方にこそ、
私はお伝えしたい現実があります。
法務省の新しい要綱案では、
検認手続きの簡略化や、録音・録画による遺言の検討など、
手続きをスムーズにする方向が示されています。
偽造や紛失を防ぎ、
確実に執行できる仕組みが整うことは、
実務上、大きな進歩です。
しかし――
現場で起きている「争い」の正体は、
書類の不備だけではありません。
むしろ、
「法律的には100点満点の遺言」が、
家族の感情を決定的に壊してしまう場面を、
私は何度も見てきました。
想像してみてください。
ある日突然、
役所からの通知やスマートフォンの画面越しに、
自分の知らない「親の意思」を突きつけられる瞬間を。
「何それ!そんな話、一切聞いてないよ」
「あいつだけ、どうしてこんなに優遇されてるんだ?」
たとえそれが、
デジタル認証された「改ざん不能な遺言」だったとしても、
残された側にとっては、
ただの冷徹な「宣告」にしか聞こえません。
納得感のない正論は、時に凶器になります。
レストランの経営でも同じです。
売上データやマニュアルだけを根拠に、
「明日からこうしろ」と命令しても、
スタッフの心は離れていきます。
なぜその方針なのか。
どんな想いでその決断をしたのか。
その背景が共有されて初めて、
人は納得し、動き出します。
遺言も、同じです。
それは単なる「手続き」ではなく、
家族に対する「コミュニケーション」の延長線上にあるものです。
「ハンコが不要になった」
「スマホで作れるようになった」
そんな利便性の裏側で、
私たちが見落としてしまいそうなもの。
それは、
「残された人が、その内容をどう受け止めるか」
という視点です。
制度がどれだけ進化しても、
手続きがどれほど完璧になっても、
それだけで家族の絆まで守れるわけではありません。
むしろ――
手軽に作れるようになるからこそ、
私たちは「伝えること」の難しさと、
より真剣に向き合わなければならないのです。
では――
その「伝える」とは、
具体的に何をすればいいのでしょうか。

第4章 「平等」という名の、残酷な罠

「子供たちは仲が良いから、均等に分ければ文句は出ないだろう」
そうおっしゃる方は、
実は一番危うい場所に立っています。
法務省の改正案では、
録音や録画によって遺言を残すことも検討されています。
自分の声で、自分の姿で、
「みんな仲良く、平等にな」と語りかける。
一見、これ以上の説得力はないように思えます。
しかし――
現実はそうはなりません。
「平等」とは何でしょうか。
本当に、同じだけ分けることが、平等なのでしょうか。
不動産、預貯金、株式。
そして、親の介護を誰が担ってきたかという、目に見えない感情の履歴。
これらを機械的に、
数学的に「等分」することは不可能です。
無理に数字上の平等を押し通そうとした結果、
住む人がいる実家を売り払わなければならなくなったり、
家業を継いだ子が、事業を継続できなくなったりする。
「形」としての平等が、
家族の「生活」を壊してしまう。
そんな皮肉な結末を、
私は実務の現場で、何度も見てきました。
レストランの運営でも同じです。
全員に同じ役割、同じ給与を与えることが、
必ずしも「公平」ではありません。
誰がどのポジションで、どんな責任を背負っているのか。
それを見極めて配置(設計)しなければ、
組織は一瞬で崩壊します。
遺言も、まったく同じです。
新しい制度によって、
遺言を作る「手間」は確実に減るでしょう。
スマホ一台で、
想いを記録できる時代が来ます。
ですが――
「どう分けるのが、この家族にとっての正解か」
その問いの難しさは、
デジタル技術をもってしても、1ミリも変わりません。
むしろ、
手軽に「平等に」とだけ残された遺言が、
残された側にとって
「何も考えてくれていなかった」という絶望に変わることすらあるのです。
大切なのは、数字を合わせることではありません。
その分け方に、どれだけの「根拠」と「納得」を詰め込めるか。
遺言を単なる「作業」で終わらせてはいけない理由は、
ここにあります。
では――
揉めないための「中身」は、
どうやって作ればいいのでしょうか。
そのヒントは、
「どう分けるか」の前に、
私たちが見落としている“ある時間”の中にあります。

第5章 「書く前」に、すべては決まっている

前の章でお話しした、
私たちが見落としている“ある時間”。
それは、ペンを持つ前、
あるいはスマホの録画ボタンを押す前に行う、
「家族との泥臭い対話」の時間です。
今回の改正案が目指しているのは、
遺言をより手軽にする方向です。
ウェブ会議で本人確認をし、
デジタルで保管し、
押印という手間すら省く。
手続きは、確実にスピードアップしていきます。
行政書士としての私は、
それを「便利になった」と評価します。
しかし――
コンサルタントとしての私は、
こう問いかけずにはいられません。
「スピードを優先して、
 本来必要なプロセスを端折っていないか?」
遺言の成否は、
書く内容の「正確さ」ではなく、
書く前の「共有の深さ」で決まります。
レストランの経営再建に入るとき、
私はまず数字を見ます。
しかし、それ以上に重視するのは、
「スタッフの声」を徹底的に聴くことです。
店長は何を想っているのか。
現場は何に苦しんでいるのか。
そこを置き去りにしたまま、
新しいマニュアルを導入しても、
組織は拒絶反応を起こします。
遺言も、まったく同じです。
「これを書いたら、長男はどう思うだろうか」
「次男が不満に思うポイントはどこにあるのか」
それを想像し、
時には言葉にして、直接ぶつけてみる。
その「面倒で、感情が揺れ動く時間」こそが、
遺言に血を通わせ、
争いを未然に防ぐ唯一の手段なのです。
新しい制度では、
誰にも知られずに、
こっそりと、
形式的には完璧な遺言を残すこともできるでしょう。
しかし――
事前の対話がないまま、
死後に「クラウドから届いた遺言」が開封されたとき、
家族の心には、深い溝が生まれます。
「なぜ、生前に一度も話してくれなかったのか」
その不信感は、
どれだけ法的に完璧な遺言でも、
埋めることはできません。
デジタル化が進み、
遺言が「手軽」になる時代だからこそ。
あえて逆行するように、
時間をかけて、
顔を突き合わせて、
想いを整理する。
その「設計図」を描くプロセスこそが、
本来、最も大切な部分なのです。
では――
具体的に「何を」話し合えばいいのでしょうか。
それは決して、
お金の計算だけではありません。
むしろ――
お金以外の部分にこそ、
本当の答えが隠されています。

第6章 「付録」が、遺言のすべてを決める

今回の改正案の中で、
私が最も本質的だと感じている変化があります。
それは、録音や録画による遺言が、
より公的な力を持ち始めるという点です。
画面の中のあなたが、
自分の声で家族に語りかける。
それは文字だけの書類よりも、
はるかに「体温」が伝わる方法かもしれません。
そして、ここで一つの問いが浮かびます。
「その映像で、あなたは何を語りますか?」
多くの人は、遺言を
「誰に、何を、いくら渡すか」を決めるための道具だと考えています。
しかし、それは遺言の一部、
いわば「数字」の側面に過ぎません。
本当の意味で争いを防ぎ、
家族を納得させる力は、
実は「付言事項」と呼ばれる、
いわば遺言の“付録”の部分に宿ります。
「なぜ、この分け方にしたのか」
「長男には、この店を継いで守っていってほしい」
「次男には、苦労をかけた分、これからの生活を支えてやりたい」
その一言が、
数字に意味を与えます。
レストランの店長時代、
新しいルールを周知するとき、
私が最後に添えていたのは、
「この店をどうしたいのか」という未来のビジョンでした。
数字やシフトだけを伝えても、
人は動きません。
その奥にある「理由(ストーリー)」が共有されたとき、
初めて、バラバラだった個人の感情が、
一つの方向にまとまります。
遺言も、まったく同じです。
新しい制度によって、
録音や録画が可能になるのなら、
それはむしろ大きなチャンスです。
ですが、そこで語るべきは、
金額の確認ではありません。
「なぜその決断に至ったのか」という、
あなただけの物語です。
相続の現場で、
残された家族が最も苦しむのは、
お金の多寡ではありません。
「なぜ自分がこう扱われたのか、
 その理由がわからないこと」です。
理由の見えない数字は、
ただの不平不満の種になります。
しかし、
納得できる理由が添えられた数字は、
親からの「最後の教育」であり、
「深い愛情」に変わります。
お金の計算は、
AIでも、計算機でもできます。
デジタル技術は、
その結果を正確に残すことには長けています。
しかし、
その数字に「納得」という魔法をかけられるのは、
あなた自身の言葉だけです。
では――
その「納得」を生むための設計図は、
どう描けばいいのでしょうか。
いよいよ――
この話の核心に触れていきます。

第7章 遺言は「作業」ではなく「設計」

ここまで読んでくださったあなたなら、
もう気づいているはずです。
遺言において、本当に大切なのは、
「書くこと」そのものではありません。
法務省の新しい改正案によって、
遺言はより身近になり、
デジタル技術で「形」を整えるのは簡単になります。
ウェブ会議やスマホ録画――
これらは、あなたの意思を遺すための、
非常に便利な「道具」です。
しかし――
道具が進化しても、
自動的に「家族の幸せ」が生まれるわけではありません。
大切なのは、
「何を想って、その形にしたのか」という設計思想です。
レストランの経営再建でも同じです。
メニューを新しくすることも、
内装を綺麗にすることも、
あくまで手段に過ぎません。
本当に重要なのは、
その店が「お客様にどんな体験を届けたいのか」というコンセプト、
つまり設計図です。
遺言も、まったく同じです。
単なる財産の「分け方の指示」で終わらせるのか。
それとも、残された家族がこれからも笑って生きていくための
「未来の設計図」にするのか。
私は、行政書士として
法的に整った遺言書を作成します。
しかし、それだけでは終わりません。
経営コンサルタントとしての私は、
「あなたの家族という組織」が、
相続という大きな変化を乗り越え、
さらに絆を深めていくための“設計”まで関わります。
「なぜ、この分け方なのか」
「これから家族にどう生きてほしいのか」
その答えは、
法務省の要綱案の中にはありません。
あなたの中にしか、ないのです。
新しい制度が始まり、
遺言が「手軽な作業」になろうとしている今だからこそ。
あえてプロの視点を取り入れ、
時間をかけて「一生モノの設計図」を描いてみませんか。
デジタルという「形」に、
あなただけの「体温」を込める。
そのとき初めて、遺言は
「家族を守るもの」へと変わります。
もし、あなたが
「ただの書類」ではなく
「家族の未来」を遺したいと願うなら――
その設計図、
私と一緒に描いていきましょう。